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June 20, 2006
ユリイカ6月号 特集 任天堂/NINTENDO
スーファミよりもメガドラに惹かれ、
プレステの旗色を伺いつつサターンに縋り、
そしてドリキャスに託した一縷の望み……。
誰が言ったか、このひと言。「セガファンの道こそ茨の道」。
絶えず日陰に身を寄せつつ、
最後に飛び込んだのは任天堂の胸の中。
霧に煙る夜更けの波止場に、希望の汽笛が響きます。
Wiiiiiiiiii……。
昭和の歌謡曲を愛して止まないみなさま、今宵も"uni."へようこそ。
さて、何を隠そう16bitマシン以降はセガ派だったぼくなワケだけど、
ユリイカ6月号 特集 任天堂/NINTENDO には楽しく目を通すことができた。
ぼくが好きだったのは、やっぱりプラットフォームホルダーとしてのセガ。
たとえて言うなら、それは子悪魔に振り回されて終わった横恋慕ってトコロかな?
そんな過去も、今ならちょっとした笑い話として片付けられるもんね。
だから、素直に言っちゃうよ。
「任天堂さん! やっぱりあなたのことが好きです!!」
なんて戯言はさておき、これは任天堂ファンならずとも、ゲームファンなら読んでおいて損はないんじゃないかな。
『スーパーマリオ』にしても『ドラクエ』でさえも、身体を使っていた記憶がある。それが、スペックが上がっていくにつれて希薄になっていく。「僕はここにじっとしていて、画面のキャラクターがムービーになってどんどん動いていく」みたいに、どんどん自分の身体が忘れ去られていく。
~鴻上尚史×八谷和彦「僕らが任天堂に教わったこと」より~
DSとWiiに至り、任天堂のゲームに対する姿勢はいよいよ明らかであろう。これらのハードの設計にあらわれているのは、「ゲームとはこういうものだ」という「常識」に疑いをさしはさみ、作り手と遊び手にゲームについての再考を促すための問いかけである。
~山本貴光「ゲームへの寄与 任天堂のスピリット・オブ・ワンダー」より~
ゲーム制作の手法、遊び方と遊ばれ方、ひいてはハード自体のあるべき姿が見直されようとしている現在、
現場が、市場が、そしてゲームファンが、かつて一時代を築いた巨人に再度地ならししてくれることを望んでいる。
少なくともぼくは、自分自身がそんな期待感を持っていることを、この1冊ではっきりと認識できた。
June 20, 2006 12:25 AM
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