August 16, 2007
トランスフォーマー
いろいろツッコミも入れられるんだろうけど、
グゥの音も出ないほど満足したので、アラ探しはナシ。
観客の少ない時間を見計らって貸切状態で観れたら、
「すんげー!」「かっけー!」を連発しながら、
汗をにじませつつ臨場感に浸りたい。
間違いなく夏向きの、アツいアツい一作。
90年代に『ジュラシック・パーク』が生きた恐竜を描いて見せてくれたように、
この『トランスフォーマー』は、男の永遠の夢である巨大ロボット、
それも大立ち回りを繰り広げるさまを、濃ゆ~い画面密度で描き出している。
内容的に決してオトナ向けの映画というわけではないにしろ、
VFXにしても撮影・編集の技術にしても、チャチな子ども騙しは一切ない。
ちょっとした笑いを誘うシーンひとつを取っても、
そのカメラワークは計算されていて、単なるおふざけでは終わらない。
アイアンハイドがチワワにおしっこをかけられるくだりにしても、
アングルは地上からではなくてアイアンハイドの高ーい目線だったりするのが心ニクい。
昔テレビで観ていた、どこかほのぼのした空気の漂う初期アニメ版と違って、
オートボットとディセプティコン両陣営の戦いは、まさにタマの取り合い。
ハイウェイでボーンクラッシャーと相対したオプティマスは、
鮮やかな身のこなしで容赦なく敵の息の根を止め、
果敢にメガトロンに挑んだジャズは、無慈悲にも一瞬で八つ裂きに。
スタースクリームばかりは、実写になってもやっぱり
400万年ぶりに覚醒したメガトロンから小言を言われていたけれど(笑)
いや、彼はああでなくてはいけないキャラだけどね。
ちょっとした職人芸の域ともいえる、シャイア・ラブーフの冴えなさっぷり(もちろん演技)。
バカだけど口だけは妙に達者で、やっぱり冴えない友達がいて、
のん気な家族ともそれなりに上手くやってて、
脳ミソの使いどころといえばただひたすら女の子にモテることだった主人公サムが、
オプティマス達の戦いを通して「犠牲なくして勝利なし」という家訓の真意を理解するや、
まさしく自己犠牲の精神のカタマリへと変貌。
まさしくあれこそトランスフォーム。
ストーリーなんて二の次、ロボットさえ見れればよし!と決め込んでいたぼくも、
いつの間にやら「捕まるなよ~。ホラ、走れ!」と心の中で声援を送っていたりして。
たくさんのアドリブを織り交ぜながら演じたと言う割りには、シーン運びも違和感ナシ。
演技派だねぇ。『インディ・ジョーンズ4』での役どころにも要注目。
それから、ちょっとクドい顔立ちながら、ミーガン・フォックスのヒロインぶりは、
ターミネーター・シリーズのリンダ・ハミルトンを髣髴とさせる。
ミカエラにとっての最高の見せ場を目前に彼女が放つ
「あなたの車に乗ったことを後悔しない」のセリフは、
クライマックスを迎えるためのトリガーとしては申し分ナシ。
それに続く、手負いのバンブルビーをトラックに乗せて戦火の只中に躍り出る場面は、
BGMのハードなギター・サウンドも相まって、
立ち上がって「よっしゃあ、行けー!」と叫びたくなるくらいの興奮度。
ひたすらカッコよさを追求するだけではないのも、この作品の大きな魅力。
たとえば、ミカエラからボロ車呼ばわりされたバンブルビーが、
カマロのニューモデルに姿を変えてこれ見よがしに戻ってくるところ。
バックに流れる曲は、何と"BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY"!
(『キル・ビル』のテーマね) あれには思わずニヤリとさせられた。
ほかにも、物語上のキーアイテムについて
「どこでその情報を?」と問われたオプティマスがキッパリ「eBay」と答えたり、
人間とトランスフォーマーたちとのコミュニケーションに、
いかに面白みを持たせるかということを考えた脚本になっているのがイイ。
子どもの頃に戻ってデラックスなプレイセットをもらった喜びを味わうような、
そんな至福の時間を与えてくれる映画。
クルマに目がないセガレと楽しむアイテムとして、DVDも購入決定。
吹替版の玄田哲章演じるオプティマス、楽しみだなぁ。
May 31, 2007
スパイダーマン3
「ホントは人並みな暮らしがしたいぼくだけど、
こんな力持っちゃったら、人助けとか悪党退治とか
しないワケにはいかないじゃん!
いろいろ気がかりで勉強にも仕事にも身は入らないし、
周囲の人に火の粉が降りかかってくるから、
恋愛だってできないしさぁ!! ヒーローってば孤独!!!」
「助けて欲しいのはこっちだよ!」っていう必死さが、スクリーン越しにヒシヒシ。
それが、前2作までのピーター・パーカー=スパイダーマン。
……ところが今回は、冒頭から何だかいろいろ調子がよくてイイ感じっぽい。
順風満帆ぶりが裏目に出て、ちょっと鼻持ちならないニヤついたヤツになっちゃってるし。
でも、それもまた人間クサさというもの。
「このバカチン!」と叱り飛ばしてあげたくなるあたり、“親愛なる隣人”ぶりは健在。
で、そこを宇宙からやって来たブロブみたいなヤツに付け込まれることから、
自分自身が悲劇の引き金になってしまうという……。
それにしても、今回は内容盛りだくさんだったなぁ。
ヒロインも敵キャラも増員されてるし、アクションシーンも大幅スケールアップ。
裏路地上空でのニュー・ゴブリンとのチェイスは、
長尺ながら緻密なカメラワークで、見応えタップリ。
終盤の流れは、3作目ともなると確かにワンパターンな気もするけれど、
クライマックスでの「待ってました!」な展開には、
どうにもこうにもシビレまくり。カッコよ過ぎ。
ビミョーなヒロイン(顔が)と言われ続けて早やウン年のキルスティン・ダンスト、
少しずつキレイになってるのは間違いないようで。
でも、個人的にはブライス・ダラス・ハワードをもう少し見たかった
(新婚さんの彼女、もう出産したんだっけ?)。
そうそう。ハリーとキスしちゃったMJ。
気持ちが入ってた分だけ、ピーター(というかスパイディ)とグウェンのよりも
「あ~あ、イケナイんだ~!」と思った。
あと、アパートの管理人さんとデイリー・ビューグルの編集長、
魅力度200%アップで思わずファンになってしまったり。
このシリーズには毎回、一瞬だけウルウルッ!とくるポイントがいくつかあって、
サンドマンが娘の写真が入ったロケットを掴み取ろうと必死で実体化するシーンは、
今回一番のそんなウルウル・ポイントだった。
May 21, 2007
パッチギ!(無印)
『パッチギ!』をテレビでやってたから観たんだけど、
世間(というか、日本アカデミー賞のお偉方)で
高く評価されるほどのモノだろうかなぁ?
とにもかくにも、脚本が稚拙過ぎ。
あれじゃあ、井筒サンの欲しい画を
ただ繋ぎ合わせただけなんじゃないの?
バスをひっくり返しといて、お咎めナシ?
どれほどのケガ人が出るかも分からないような状況で、親善サッカー?
(それも、あんな一触即発の状況で生徒だけを遣いにやって)
そんなこんなは置いといて……っていうのがあまりにも多過ぎて、
アラ探しする気はないのに、冷静に観ていられない。
パッションだけでゴリ押しする展開、ちょっと大人気ない。
バイオレンスシーンがしつこいのもなぁ。
「コレで、レーティングなしなの?」ってくらいにエグいし。
作品内では、あれは戦争そのものということだろうから、
制作サイドにとっては生温いくらいの描写なんだろうけど。
テーマ的には若年層にこそ見せたい(であろう)ものを扱っているにもかかわらず、
結果として「見せたくない」と思わざるを得ない映像になっている。
エゴや作家性みたいなものとテーマ性とが作品内でケンカしちゃって、
「誰に観てもらいたいの?」ってくらいの自己矛盾を生んでいる感じ。
クライマックスとなる友人の死からの一連の流れも、突っ込みどころ満載。
ご都合主義もいいところ。
あの赤い腹巻、大事なものなら自分で持って行くだろうに。
ギターを自分から壊しておいて、それでもラジオ局に向かうのはなぜ?
血と泥に汚れた人間が、そんな簡単に新生児室に入られちゃあ…… などなど。
ただ、友人の亡骸の前で「お前たち日本の若い者は、何も知らない」と
お爺さんが語るくだり、あれはただの説教に聴こえないくらい、
言葉のひとつひとつに重みがあった。笹野高史、さすが。
群像劇の中の役割としては、
人物同士・場面同士をくっ付ける接着剤以上の何物でもなかったものの、
あの朴訥過ぎる主人公って嫌いじゃないな。
もう少し明確なキャラクター作りがされていたら、もっと感情移入できたのに。
シーンごとの画作りは抜かりないし、セットもよくできてる。
笑っちゃうような映像も含めてあれを本気で撮り切ったっていうのは、
熱意ばかりのなせる業じゃないとは思う。
同じ“日本の中のアジア”から話が広がる映画でいえば、
大林宣彦の『北京的西瓜』の方が素直に心を打つし、好きだな。
April 10, 2007
トゥモロー・ワールド
淡々としたシーン運びと語り口ながら、
各カットの画は緻密に計算されていて、情報量も膨大。
厭世観と閉塞感と暴力が充満する世界観が、
さも当たり前であるかのように目に映ってしまう。
不法入国者とテロリズムがひしめく街路が、
絵空事に見えずに息が詰まる。
「もしこれが現実だとしたら、ぼくはどんな顔をして何をしているだろう?」
あまりのリアリティーにせせら笑って観ているわけにもいかなくて、
だからこそ、いろいろと想像を巡らさずにはいられない。
物語世界の中の男はみな、ただただ破壊し奪い続けるか、
そうでなければ黙々と権力に従うだけ。
テログループ“フィッシュ”のリーダーが女性だったことに象徴されるように、
男という種は「絶望」によって去勢され、何かを築き挙げる力を失っている。
生命誕生が、文字通り奇跡となってしまった時代。
新しい命の放つ力強さは、諦めや無気力に彩られたひとりの男のすべてを
一瞬にして過去に追いやり、生まれ変わらしめた。
近未来のことが描かれていながら、物語終盤はまるで神話のような荘重さだった。
どうして子どもが生まれなくなったのだろう?
「ヒューマン・プロジェクト」とは?
そうした肝心な部分が腑に落ちないままだったりするのは、少し残念。
January 17, 2007
やっぱ観とくんだった!
全米週末興行成績(2007年1月5日~1月7日)で、
『トゥモロー・ワールド』(原題 "Children of Men")が
「昨年末の限定公開を経て、
劇場数を約1200館に拡大」により先週22位から3位。
[ via: エイガ・ドットコム 全米ボックスオフィス速報 ]
ここまでの快挙を成し遂げたケースも珍しいのでは?
AMAZONでも、DVD(まだ発売前)のレビューはおおむね絶賛に近い内容。
すかさず予約してしまった。やっぱり劇場まで観に行っときゃよかったなぁ。
October 15, 2006
レディ・イン・ザ・ウォーター
近年、M・ナイト・シャマラン作品の物語は、
限られた空間を舞台として展開されている。
この『レディ・イン・ザ・ウォーター』もまた、
全編がひとつのアパートの中で描かれている。
国籍も違えば生活習慣も異なる住人たち。
そこはさしずめ、プールという海を持った、世界の縮図。
「家族を失って僕は迷子になった」
クリーブランドの言葉を借りれば、世の中には“迷子”が溢れているということなのかも知れない。
人間誰しも、世界は良い方向に向かっていると信じたい。
けれども、だからといってそのために自分にできることなんてない、なんていう諦観がいつの間にか心の中で肥大化して、
人生の目的や役割も見出せないままに、ただ毎日を過ごしている。
純朴過ぎるように映ったコーブ・アパートの住人たちだけれど、
彼らにとっては今や、おとぎ話を現実にすることこそが、子どもの頃に信じた幸福を実現すること。
だからこそ、“青の世界”から現れたストーリーとの関わりの中で、それぞれの帰るべき家を見つけ出そうともがいた。
そんな彼らを包み込んだ熱気を感じ取れるか否かで、観客一人ひとりの感情移入度も大きく左右されると思う。
もしも感じ取ることができれば、臨場感に呑まれながら、妙に力の入った姿勢でスクリーンに釘付けにされているはず。
静寂に包まれた短いラストシーンは、多くを語らずとも安堵や寂しさや愛しさといった感情を複雑に孕んでいて、
絵画的で強く印象に残った。
そして、エンドロールではひたすら余韻に浸らせてもらった。
あ~、ハンカチ持ってってよかった……。
そうそう。『ヴィレッジ』以上に心臓に悪い一瞬が用意されていて、それにはかなりビビッった。
ブライス・ダラス・ハワード、今回もハマリ役でイイ感じ。
公開前からさほど話題にもなっていないけれども、世間で思われているよりもいい映画なんじゃないかな。
音楽も素敵だったし、少なくともぼくは、シャマラン作品の中では一番好きだな。
October 08, 2006
V フォー・ヴェンデッタ
最近は、映画館に足を運ぶ回数も
めっきり少なくなってしまったなぁ……。
この『V フォー・ヴェンデッタ』、
観たいと思いつつも上映終了になってしまったんで、
DVDは発売日に即購入。
それでも、ようやく観ることができたのは今日のこと。
映像には多分に刺激が含まれているし、
扇情的な"V"の言葉は、人によっては毒にもなれば薬にもなる。
けれども、決してバイオレンティズムを肯定する内容ではないし、
革命でその手を血で染めたのは他ならぬ"V"だけなのだから、
むしろ訓戒と受け止められてしかるべき。
独房でのイヴィーがヴァレリーからの手紙に希望を見出すくだりは、
とても気高く美しくて、なおかつ胸を打つものがあった。
原作がコミックなだけに設定もプロットも現実離れしてはいるものの、
暴力や支配、抑圧に対して団結して自由を勝ち取るという普遍的な主題を
ここまで劇的かつ鮮やかに描くことができたのもまた、
そのコミックがあったればこそ。
それにしても「マトリックスのウォシャウスキー兄弟が~」
っていう宣伝文句には、今さらながら首を傾げるなぁ。
売り込み方として正しいのは分かるけど、作品の活かし方としてどうだろう?
それくらい、骨太でちゃんとしてる映画だと思う。
「私の人生を変えたあなたのことを 私は何も知らない」
「この仮面の下の顔は私ではない」
「なぜ死なん?」
「仮面の下にあるのは“理念”だからさ 理念は決して死なない」
ぼくには子どもの頃から何となく抱いていた疑問があって、
それは「バラの花って、あんなに血みたいに真っ赤で棘まであるのに、
どうして世間じゃ“きれい”って言われてるんだろう?」という、
まぁ、取るに足らないというかつまらないものなんだけど、
この映画を観てその気持ちが晴れた気がした。
October 05, 2006
ふ~ん、ニッキーとねぇ……
cool D'zine room さんによると、
ジェイソン・ボーンシリーズの3作目
『ボーン・ウルティマトゥム』がクランクインしたとか。
コレ、来年公開になる映画の中でも
『スパイダーマン3』と同じくらい、
絶対観ておきたい作品のひとつなんだよね。
ホントにね、シリーズ未見のヒトにはぜひとも観てもらいたい。
もう、メチャクチャ面白いから。
あ、そこのアナタ、「なーんか地味そうなんだよなぁ……」とか思ってるでしょ?
ぼくも最初はそう思ってたクチだからね、分かる分かる。
「あのマット・デイモンが主役のアクションもの」と聞いて
いきなり期待に胸を高鳴らせるヒトなんて、そうそう(以下自主規制)。
えぇっ!? 今度はニッキーとくっつくの? ちょっとは相手を選んで(自主規制・その2)
あー、楽しみ!
September 17, 2006
超ロボット生命体 ver.2007
"Transformers Movie"、何だかエライことになってるぞ。
左の画像、オプティマス・プライムらしい(ソースはココ)。
こりゃまた、ずいぶんと思い切ったリファイン。
それでも「これって、オプティマスだよね」
っていうところは押さえてある(ように思う)。
複雑なユニット構成は一見超メカニカルながら、
直線を控えつつ有機的なラインを出している(ように見える)。
きっとコレ、動くともっとカッコよく映るんだろうな。
July 07, 2006
『時をかける少女』が観たい!
あの『時をかける少女』の劇場版アニメが、
来週から全国で順次公開になるそうで。
オフィシャルサイトを見てみると……。
「本作の主人公は、紺野真琴17才。」
「原作の芳山和子が、叔母として登場」
あぁ、ストーリーはオリジナルなんだ。
夏!って感じの突き抜けた青に、何だか気持ちが弾むなぁ。
青春してる(死語その1)なぁ。
うん、2006年なりの新しい『時かけ』っていうのも面白そうだ。
えーと……、コレ、長崎でも観れるのかな?
上映館情報をポチッとな(死語その2)。
あ~あ、やっぱりアウトですか、そうですか! ……(`3´)チェッ!!
July 04, 2006
Transformers the Movie
早耳の + spirit ether blog さんから。
数年前から密かに楽しみにしていた1本、
"Transformers the Movie"。
火星から物語を始める? フムフム……。
ひょっとして、懐かしのアノ人面岩が
関係してきちゃったりする?
ほら、トレードマークのアレが、どことなく似てるじゃない?
……なんて妄想はさておき、ようやくと全米での公開日も正式決定か。
シルエットだけのアイツは誰だ!? ロゴがトランスフォームするあたりもニクいぞ!
June 29, 2006
SPIDER-MAN 3 Teaser Trailer
初出は You Tube に先を越されてしまったけれど、
『スパイダーマン3』の予告編がいよいよお披露目。
『ヴィレッジ』で気丈なヒロインを好演した
ブライス・ダラス・ハワードの姿もチラリ。
アクションシーンが楽しみなのはもちろんだけど、
不憫なピーターの恋の行方も気になるなぁ……。
May 18, 2006
さびしんぼう
いつかDVDを買わなきゃな、と思っていた作品。
大林監督の映画で一番好きなのがコレなんだけど、
どこのレンタル店にも置いてないんだよなぁ。
で、先日購入して判明した衝撃の事実。
オビに「レンタル禁止」って書いてあるし!
しかも値段は¥6,300もするしぃ~っ!!
最初に観たのは中学生の頃。もう20年近く前のこと。
「観た」といっても、映画館に足を運んだワケじゃなくてテレビ放送だった
(最近はこういうタイトルがテレビで流れる機会も減ったなぁ)。
当時よく読んでいた雑誌の中で、何人かのライターが劇場公開当初から
「『さびしんぼう』は泣ける! っていうか富田靖子がイイ!!」と書いていて、
その影響で「せっかく放送されるんだったら」と思って観たわけだ。
もしもその雑誌の愛読者でなかったとしたら、この作品にもめぐり合っていなかったのかも知れない。
その時驚いたのは、物語の舞台になっている尾道の風景が、長崎のそれとよく似ていたこと。
それでも、映画の中の景色の方が素敵に思えてしまうもので、
憧れと嫉妬心みたいなものが一緒くたになった中、
前半の愉快な展開に笑って、そして後半でグズグズになって泣いた。
生まれて初めて、映画で泣けた。
33歳の今になって観返しても、やっぱり変わらず、いつまでも劇中の風景に浸っていたい気持ちにさせられる。
中学生時分に抱いた「理科の実験室ですき焼きしたら楽しいだろうなぁ」なんて想いが蘇ってくる。
好きなシーンはもちろん数多くあれど、ヒロキが橘百合子にオルゴールのプレゼントを渡すくだりは、
切ないなんて言葉じゃ足りないほどに、切なくて愛おしい。
百合子がほどいたリボンと包み紙をさりげなく自分の手に取るヒロキがとても優しく映って、
男から見てもホレボレする(※ぼくにヘンな趣味はナイ!)。
「やっぱり送って行っちゃいけない?」
「いけない」
「だめ」でも「やめて」でもなくて、「いけない」。
情にほだされない凛とした百合子の態度は、その美しい相貌を引き立たせると同時に、
観る者に慈しみの感情を湧き起こさせる。
だけど、さびしんぼう(タツ子16歳)と百合子のどちらが好きかと訊かれれば、ぼくは前者。
あの、ヒロキに向かって「大好き」と告げる時の表情に、どれだけ胸を締め付けられたことか…。
この二役を演じ分けた富田靖子の力量に、あらためて感服。
彼女を抜きにしては、この作品、そしてそれを愛して止まないファンも生まれなかった。
これは間違いない。
October 26, 2005
FFVII ADVENT CHILDREN
この作品は、言ってみれば
《ファイナルファンタジー・エキスプレス》。
もはやストーリーの持つ役目なんて、
魅せ場という車両を繋げるための連結器程度のもの。
これは、一両目から全部が食堂車で編成された、
そんな一風変わった特急列車なのだ。
ジェノバ、リユニオン、ライフストリーム…。
そうした語句は、それぞれが車窓を流れていく景色の一部であって、ひとつの風景に落ち着くことがない。
独自の作品世界を打ち立てるための土台とするには、脆弱さをさらけ出し過ぎている。
また、作中で芝居を演じているのはやはり、
(あえてそういう表現を選択していることが分かっていても)姿態からして人形(ひとがた)以上の存在には思えず、
過剰にリアリティを写したテクスチャを見せられるにつけ、温もりを感じ取ろうにもこちらとの距離は開いていくばかり。
ただし、バトルシーンにおけるケレン味溢れる演出は、観る者の目を釘付けにせずにはおかない。
これはもう、ハイエンド版『ドラゴンボール』。
空間の制約を飛び越えて、まさに縦横無尽の大立ち回り。
現実を超えたカメラワークの連続にも舌を巻くが、
ガジェット群(クラウドの大剣やバイク等)もまた、魅力たっぷりに描かれている。
制作陣も「理屈なんて置いといて、カッコイイだろ?」と、さぞかししたり顔なはず。
この“カッコよさ”でまくし立てる展開に(お腹いっぱいにならずに)付いて行けるか否かで、
FFエキスプレスそのものの乗り心地が大きく左右されるのは間違いないのだけれど。
ストーリー的には、本当に何てことはない感じに終始しているものの、
「引きずり過ぎてすり減った」のセリフは、心象的かつ印象的で、悪くない気がした。
September 10, 2005
銀河ヒッチハイク・ガイド
前々から気になっていた1本が、
いよいよ今日から劇場公開!
…って、長崎はおろか九州じゃあ
どこ行っても観れないってかい!!
個人的には、某超能力ユニットよりも
断然ソソられるんだけどなぁ。
原作となった小説(←未読)はシリーズで刊行されていたらしく
(そもそもはラジオドラマだったというのがおもしろい)、
「SFブラックコメディの傑作」との呼び声が高かったものの、すでに絶版。
…となっていたところ、映画の公開に合わせて
めでたくその一部が復刊を果たしたそうで。
値段も手頃だし、この際一度読んでみるかなぁ。
それにしても、カバーデザインは
昔出てた方(←)のが味があってシャレてるな。
July 17, 2005
宇宙戦争
何といっても恐ろしさが際立つ作品。
映画を観てあんなに怖いと思ったことは初めてだ。
いろいろと腑に落ちない点はあるし、
ラストは腰砕けの感も大きいが、
あれだけの絶望感を映画を通して味わったことはない。
*以下、未見の方は要注意!*
人間の尊厳など意味を持たず、「なぜ死ななければならないのか?」を問う間もなく蹂躙されていく命。
さらには人の体から抜かれた血液が、液肥同然に地上に撒かれていく。
計画的な大量殺戮、人体の再利用。
ナチス・ドイツのホロコーストと同じことが、宇宙からの侵略者によって繰り返されていた。
残虐かつあまりにも無慈悲な侵略者の行為を、人はかつて自らの手で行っていたのだ。
物語は、戦時下における市民の逃亡劇を描写することに徹している。
よくあるSF大作に求められるようなヒロイズムやカタルシスは、本作では皆無に等しい。
得体の知れない恐怖、そしてひとりの人間としての無力感。
レイは、自分たち家族が置かれた状況をどれほど呪ったことだろう。
結果的に子供たちを守る役目こそ果たせたものの、
息子を死地に放った事実、人を殺めたことによる自責の念は、
彼の一生に暗い影を落とすものとなるはずだ。
劇中で描かれた異星人による破壊と殺戮は、街の聖堂が崩れ落ちる場面から始まった。
そして、どれだけの命が踏みにじられようと、奇蹟など起こりはしなかった。
それでも最後に人類を救ったのは、神が創り賜うた自然そのものだったのだが…。
この作品のキャッチコピーは、「人類最後の戦争は、人類が起こしたものではない」。
しかし、未曾有の危機を経てもなお、世界人類的な意識の変容は成し遂げられなかった。
作中の人類は、互いに手を取り合うことで侵略者に対する勝利を手にしたのではないのだ。
世界には依然として、さまざまな格差や相互の不理解が存在し続けるに違いない。
理性のタガがどれだけ緩いものであるかということを自戒しなければ、
あの戦いを「最後の戦争」にすることなど、とても叶わない。
クライマックスシーン。シールドを失ったトライポッドへの反撃時、
レイチェルは爆音の中で生き残ったすべての人に代わって「もう嫌だ!」とでも言うように、
ありったけの声で言葉にならない叫びを挙げ続けた。
その戦争への嫌悪感を、人々はいつまでも胸に刻み付けておくことができるだろうか?
July 02, 2005
STAR WARS -EPISODEⅢ-
スターウォーズ・シリーズを観て感じるのは、
“運命”を背負って生きることの苦しさや悲しさ。
EPⅠ~Ⅲは、特にそうした運命観が濃く見てとれる。
父親なくして生を受けたアナキンは、
人としてその生を全うすることは
許されない運命だったのだろうか。
母一人子一人の環境で生まれ育ち、
幼い頃から母親を守る役目を自覚してきた彼ならば、
常に大きな力を手に入れることを求めたのは当然なのかも知れない。
しかし、たとえ誰かを守るための力であったとしても、
それが周囲に脅威を与えるほどのものになったとすれば、
自ら身の置き所を失っていく羽目になる。
夢が彼に垣間見せた未来は、愛する者の危機ではなく、彼自身の行く末。
そして、暗黒卿として闇に身を沈め、人であることに決別した瞬間─
それは、銀河の遠いどこかでか細い希望の光が灯った時でもあった。
ジェダイからシスへの転落。
それは、我が子らに“善い心”だけを受け継がせるべく
内なる邪悪を一身に背負った、親としての自己犠牲行為。
図らずも、人を捨てたその時こそが、アナキンが最も人間らしかった一瞬だった。
April 20, 2005
1999年の夏休み
もう17年も前の作品なんだなぁ。
初めて観たのが高3の夏休み。
深津絵里ファンだったぼくは、
「とりあえず観とくか」と
内容もよく知らないままビデオを借りてみた。
そして、ものの見事にハマッた。
少女漫画家・萩尾望都の『トーマの心臓』が原作で、森に囲まれた全寮制の学校が物語の舞台。
登場人物は、たったの4人。その全キャストが女性でありながら、みな少年役を演じている。
テーマは「少年期そのものへの愛」といったところだろうか(「同性愛」という限定的なものではなく)。
女性ばかりのキャスティングとはいえ、一部のキャラクターには男性声優がアフレコで声をあてるなど、
観る者に性の境界線を意識させない手法が取られているため、
特殊な世界観設定の作品ながら抵抗感は意外に薄い。
それぞれのキャストの芝居は荒削りで、お世辞にも巧いとは言えない。
セリフもジェスチャーも、オーバーな上にやや現実離れしている。
しかし、逆にそれによって≪大人になることへの拒絶反応≫が全身から熱を帯びて表現され、
時に乱暴な形となって現れる≪今の自分≫や≪今の世界≫への
縋るような想い(愛着・執着)を映像として綴ることに成功している。
また、とにかく自然の描写が瑞々しく、
空の青や森の緑がここまで美しく感じられる映画には、この作品をおいて後にも先にもお目にかかっていない。
ヘルマン・ヘッセの世界が好きだという人には、一度観てもらいたい。
最後に一応断っておくが、ぼくは特に少女漫画の愛好家というわけでもなければ、
そっち方面の趣味も持ち合わせていない。
